講演会の要約を掲載します。─『楽しく幸せな第2の人生 50代からの起業、そして今』R2年10.25(日)開催

皆さま、こんにちは。早いもので、いつの間にか今年も残り2ヶ月となりました。

さて今回は、10月25日に開催した講演会について、都合により参加できなかった方、またコロナにより参加を自粛された方のために、管理者による編集ではありますが、講演内容の要約を掲載させていただこうと思います。
当日は約40名の方がご参加くださり、山﨑社長のお話を熱心に聞いてくださいました。ぜひ、その素晴らしい講演内容が少しでも多くの皆様に伝われば幸いです。

10/25講演会待受画面

〔要約〕

1944年。東京で生まれてすぐに神戸へ移り、長らく神戸にて人生を送っていた。
夫の転職に伴い、43歳の時に再び東京へ移り住む。
時はバブル。大きなビジネスが動き、経済的にも日本がもっとも潤っていた時代。
派手な暮らし、狂気的な金銭感覚、そんな時代に人はふと「何かがおかしい」と感じはじめるもの。

蓼科で週末を過ごすようになったのは、そんな経緯からだった。

ハーブから始めた畑生活。それは、地元の人との関係構築なくしては不可能だった。
人との縁がつながり、水資源のすばらしい駒ケ根市で、農学博士の資格を持つ方と出会い、農業の知識を学び、経験を得ていく。

そんなある日。介護士をされているという方が相談に見えた。
1日中シャンプーやボディーソープを使い続ける日々。手指がとても荒れてしまい、クリームでケアをしても間に合わないような状態だった。
使われている薬品の成分を検証し、「これは要らないのでは?」と、消去法を重ねて作られた商品。介護士の方に喜んでもらえたその商品は、今でもまったく同じ成分で販売している。

「製品化を」というニーズに応えるために、法人化した。形だけなら、と社長になった。
2000年のこと。当時、60歳近い年齢だった。

それでも、蓼科から駒ケ根市までは、片道1時間40分の道のり。
身体への負担を感じ、ついに蓼科に7,000㎡の土地、畑を借りることになった。

新しい社屋も建てた。ついに自分たちの農園を作る。
そのためには、地元の農業委員会の承認、地銀での当座開設、県の承認などが必要。
まだ、何者でもないとき。書類の書面以上に、情熱で乗り切る場面すらあった。

「ハーブより、バラを育てよう」

自分が最も好きな花を選んだ。
だが、畑の標高は1,100m。一体どの品種なら、この地で育つのか?
そこからが長く苦しい時期だった。

100種類ほど植えた。翌年の春、半分になっていた。

50種類ほど残った品種。その翌年の春には、10種類ほどになっていた。

 

そして、3年目。

初めて、小さな花がついた。涙が出るほど嬉しかった。
それを蒸留器にかけ、とても少量だったが、初めて蒸留水を作った。
この4年半は、ほぼ無収入。
それでも、そこを越えた時、「いける」と実感した。

2010年、茅野市蓼科中央高原に薔薇農園ROSA蓼科、株式会社フロンティア蓼科化粧品工房を設立。

「有機、無農薬であることを伝えたい」
日本ではほぼ例のない、バラ園のJAS認定取得にも乗り出した。
その熱意には県や農水省の方も驚き、見学に来るほどだった。厳しい検査や、講習会、書類の提出は、今でも毎年行われている。

県の職員からの思わぬ指摘があり、当時、困惑しながら相当な無理をして造った大きなテラスには、今。
6月~7月初旬に開花するバラの時期に、バイヤーさんが大事なお客様を連れてやってくる。

「ここで作っているんですよ」

バラにお湯を注いだローズティーを飲みながら、バラ園や豊かな自然、さわやかな風の中で商談が行われている。おかげさまで、評判は上々。

また、その時期にはバラ摘みを楽しむため、各地から大勢のお客様がみえる。
ダマスクローズ、セルシアーナ、ナポレオン…。
あの3年を乗り越えた品種、オールドローズと呼ばれる品種が、農園を彩る。

最近は、ほっとステイで東京から中学生が農村体験にやってくる。
ミミズや虫にキャーキャー大騒ぎする子どもたちに、虫取りから教えている。

 

11月。冬越しのために、契約した農家から買い取った藁を農園に敷き詰める作業がはじまる。
藁が腐り、土に入り、長年かけて重ねた土壌はとっても豊か。

今年で創業21年目。100歳になるまで、残り24年もある。まだまだ先は長い。

 


 

【起業を考えている方へのメッセージ】

「自分が何をしたいのか?」という、志とも言うべきものを考えた時、
「好きなこと」から入ることはやはり重要だと思う。
長い間には必ず波がある。起業してから何年かは本当に泣きそうになることがある。
そういう時に、自分が一番好きなことをやっている、ということに救われる。

親・兄弟や友だちは、大切にした方がいい。
親は安定的なものを子どもに求めるので、心配の気持ちからから、必ず反対をすると思うが、根気よくそれを説得すること。

あと、友だちを作る時には自分の心をオープンにすること。人に自分をさらけ出せない人とは、友だちになりたいとは思わないでしょう?
「この人は自分をさらけ出してでも、自分と友だちになろうと思っているんだ」と感じて、はじめて深いところまで付き合っていけるもの。

たくさんの人間がこの世の中にいるのだから、自分以外の人とは価値観や境遇が違うのは当たり前。それを理解した上で、「じゃあ自分ならどうするか?」と考える癖をつけること。癖になるまで、ずっとやり続けること。そうすると、だんだん人と共存共栄ができるようになるのではないかと思う。

目の前のことに囚われすぎず、全体を見失わないこと。自分がどうしたいかという全体像を、常に見失わないようにしなければいけないと思っている。

これまで上がったり下がったり、いろんなことがあったが、今の私が幸せだと思うのは、21年間築き上げてきた空間、自分の住処を得ていること。自分の立ち位置があること。

100歳になるまであと24年もあるが、その間、誰にも気兼ねしないで、自分の好きな道を自分で思うようにやっていけるということが、とても大切だと思っている。
人生最後まで、好きなことをやりたいですしね。
そういう物を見つけるチャンスはいっぱいあると思うので、どうぞ探してみてほしい。

講師の山﨑社長が代表を務める株式会社フロンティア蓼科についてはこちら
https://rosa-tateshina.co.jp/